「読書」の楽しさを取り戻したい
こんにちは、うぉーたんです。
最近急に「読書という行為のハードルの高さ」を感じるようになりました。
昔は色んな本を目を輝かせて読んでいたはずなのに。
本を読む楽しさ
僕自身、小学校~高校までは本を楽しく読んでいたように思います。
「ハリー・ポッターと賢者の石」を無我夢中で読んだりしたのを覚えています。
そこから本を読む楽しさにハマり、歴史の教科書をもらってきたその日のうちに読み切ったりもしていました。
教科書を読み物として読むことの楽しさにもこのときは目覚めていたように思います。
スマホとの出会い
ハードルの高さを感じるようになった理由としては
時間がないだとかお金がかかるとかまあもっともらしい理由はいくつか思いつきそうなものですが、僕の場合「本を読む楽しさを忘れてしまった」ことが原因だと思います。
偉人の伝記本を読みながら登場人物の人生やその世界を堪能したり、
SF小説を読みながら未来に思いを馳せたり・・・
そういう非日常的なものに触れる楽しさを得るために本を読んでいたはずなのに、いつの間にやら現実的なものにばかり楽しさを見出すようになっていきました。
今にして思えば、スマホを持ったことがきっかけだったように思います。
手元で刺激的な情報をすぐに見ることが出来て、SNSで友達や世界中の人達と昼夜関係なくやり取りする毎日を過ごす中で、着実に一人で何かをする時間を確保できなくなっていきました。
趣味としての「読書」から何かを得るための「読書」へ
そんなこんなで一度読書から離れてしまうと、次にまた本を読むときに敷居が高くなってしまう。
やっと本を手にとったかと思ったら、そこには大層な理由が付いてきてしまう。
教養をつけるために読書”しなければならない”
仕事のために読書”しなければならない”
なんていう風な考えから、本を手にとってしまう自分がいました。
以前は「ただただ楽しむための手段」だったはずなのに。
もう自分の中で教科書は「知識を身につけるために読まなければならないもの」になってしまったと思うととても悲しいです。
不必要なジャンル分け
そんな考えに染まってしまってからは、負のスパイラルに陥って行きました。
「自己啓発本は自分を高められるから読書である」
「漫画は読んでも何も残らないから読書とは言わない」
漫画を読んで何も残らないなんてのは人それぞれであって決めつけるようなことではないはずなのにそう思い込んでしまう。
こういう記事を読んで「意味がないことなんてなにもない」のだと再認識しても、どこかで自分流に線引きをしてしまう。自分自身がその線引きに納得していないのに。
そんなことをしても意味ないのにね。
この思いをどうすれば良いのか
投げっぱなしジャーマン的な最後になってしまいますが、このもやもやをどうしたら良いのでしょう。
もやもやをぶつける場所はここしかないのでとりあえず書き残しておこうと思います。
おわり