急がば走れ

急がば走れ

好きなものを試し、日々の発見を言葉にする。

静かなカフェを、自分の部屋やと思ってる?

窓際のカフェカウンターに本とコーヒー、音を示す線が描かれたスマートフォンが置かれたイラスト

記事要約

セルフカフェで、2つ隣から流れるYouTubeショートの音を10分ほど聞かされてしまった。カフェを無音にしてほしいわけではないけれど、動画の音はイヤホンで自分だけで楽しんでほしい。

セルフカフェで、2つ隣の席からYouTubeショートの音が聞こえてきた。

「うぇーい」みたいな動画。

元気だなあ。静かな場所だと、なおさら元気だなあ。

で、その元気が、全部こっちまで届いている。

スマホの画面は小さい。手元に収まる。だから自分だけで楽しんでいる感じがするのかもしれないけど、音は普通に外へ出る。

画面はそちら。音は共有。

共有しなくていい!

僕、2つ隣にいるんですけど。動画を開いてすらいないんですけど。なんで音声だけ参加させられているんだ。しかも、見ている本人には停止ボタンがあるのに、聞かされている側にはない。

再生してないのに停止できない。なんだこの不便なサービスは。

一瞬なら分かる。前に電車でYouTubeを開いた途端に音が出てしまった人がいた。その人はすぐに止めて、スマホをバッグにしまっていた。あれは誤爆だったんだろう。

今回も、それくらいで止まるなら。

止まらない。

10分くらい流れていた。

いや、長いって!

ショート動画なのに、こっちの付き合いは長い。一本が短いとか知らない。次の動画に進んでも、僕のところには引き続き音が来る。そちらのスワイプでこちらの視聴契約を更新するな。

僕は一本目にも同意してないんだぞ! 停止ボタンをくれ。いや違う、お前が止めろ!

僕だって、外の音が全部嫌いなわけではない。電車のざわざわの中で本を読むのは好きだし、カフェを無音にしろとも思っていない。

でも、カフェに入った時点で、知らない人のYouTubeに10分付き合うところまで了承したことになる?

ならないでしょう。

好きな動画を見て、笑って、ゆっくりすればいい。その音を聞くのも、そこまで含めて自分でやってほしい。

イヤホン! イヤホンをしてくれ!

頼むから、そのスマホと同じくらいイヤホンの存在も思い出してくれ。発明されてるぞ。とっくに。

……ショートなのは動画だけで十分なんだよ。こっちの気まで短くすんな。

仮面ライダーエグゼイド 第7・8話感想|本当のことを言っている貴利矢が信用されない

仮面ライダーエグゼイド LEVEL10th ロゴ

※以下、『仮面ライダーエグゼイド』第7話「Some lie の極意!」・第8話「男たちよ、Fly high!」のネタバレを含みます。

第7話の終わり、貴利矢は本当のことを言っているのに、永夢たちに信用してもらえない。

貴利矢の嘘

仮面ライダーレーザーに変身する監察医・九条貴利矢は、ゲンムの正体が幻夢コーポレーションの社長・檀黎斗だと突き止める。ところが、倒したゲンムから姿を現したのは、爆炎に紛れて入れ替わったパラドだった。永夢たちから見れば、貴利矢がまた嘘をついたように見える。第7話の公式あらすじ

貴利矢には、病気の真実を伝えた友人を失った過去がある。本当のことなら、そのまま伝えればいい。そう簡単には言えなくなる経験が、貴利矢の軽い態度の裏に見えてくる。

僕は、こういう事情が見えてくるところが面白い。嘘をつく行動だけ見ていたときと、その人が何を抱えているのか知ったあとでは、同じ言動でも見え方が変わる。

今度は本当のことを言っているのに、これまで積み重ねてきた嘘が邪魔をする。しかも貴利矢は、非難されてもおどけてかわしてしまう。見ているこちらには貴利矢の事情が見えてきたのに、永夢たちとはすれ違ったままになる。

大我のことは気になるけど

第8話で、スナイプに変身する花家大我のやり方は、すんなり肯定できない。バグスターを人質にして、エグゼイドの永夢と、ブレイブの飛彩にガシャットを賭けた勝負を迫る。そのバグスターを倒さないと、患者のゲーム病は治らない。治療を進めたい永夢にとって、放っておける勝負ではなくなっている。第8話の公式あらすじ

大我が何を背負っていて、なぜそこまでガシャットに執着するのかは知りたい。前の第5・6話で飛彩との過去が見えてきたこともあって、単に嫌なやつだと切り捨てる気にはならない。

でも、その事情を知りたいことと、患者の治療に関わるものを人質にするやり方まで認めることは別だと思う。

飛べるスナイプ、そりゃ強い

その大我の戦闘は、話が別だった。第8話のスナイプはジェットコンバットでレベル3になり、空中戦で永夢たちを追い込んでいく。

飛べるって、そりゃ有利なんだよな。地上の相手から距離を取れるし、上から撃てる。同じ場所で殴り合わなくていい。新しい姿になったから強いという説明より、実際に相手がやりにくそうな戦い方を見せてくれる方が、強さに納得できる。

第6話の飛彩は、心臓マッサージのリズムを音ゲーの攻略に使っていた。今回は、空を飛ぶ装備がそのまま戦い方を変える。こういう、持っているものを具体的にどう使うかが見える戦闘は好きだ。

大我、そのやり方はどうなんだと思いながら見ていたのに、スナイプが飛んで撃つところは素直に格好よかった。

公式配信:第7話「Some lie の極意!」/第8話「男たちよ、Fly high!」

仮面ライダーマイス第8話「窮鼠ネコをかむ」感想|マオウ強すぎ。でも、負けたあとの宙が良かった

白地に仮面ライダーマイスのロゴを配置したシリーズ共通画像

※『仮面ライダーマイス』第8話「窮鼠ネコをかむ」のネタバレがあります。先の展開については、第8話を見終えた時点での予想です。

マオウ、めちゃめちゃ強いな。

マイスがここまでやられるのは新鮮だった。圧倒的に強い相手が出てくるのは、やっぱり面白い。

しかもライドエグズまで奪われるんか。

剣を銃のように使って撃つところは、『仮面ライダービルド』のブラッドスタークを思い出した。色も相まって、不気味な悪役感がある。圧倒的な強さとあの見た目が重なるのが、すごく良かった。

怖いけど、次に勝てばいい

そんな相手にやられたあとだから、達臣が宙の怖さを気にするのも分かる。あんな目に遭って、もう一度戦いに行けるのか。

宙は怖いし、震える。それでも、「次勝ちゃいいだけじゃん。」と返す。優菜と不可思議を倒す約束をしているから、という話をする。

心配をかけないように、気丈に振る舞っているように見えた。でも内側には、優菜を守りたいというしっかりした芯がある。

努力を表に出さず、自分の中に留めておく。そういうところがいいなと思った。

達臣が、だんだん宙に染まってきている

達臣、着々と宙に染まってきているなあ。

マイスの力だけではなく、宙という人間に興味を持ち始めているように見える。何を考えて動いているのか。どうしてそこまでやるのか。最初は、そういうことを知りたかったんじゃないだろうか。

これ、僕が今この作品を見ている感覚にも近い。キャラクターの行動が気になって、もっと知りたくなって、自分なりに理由を考える。そうして追いかけているうちに、こういう人だったらいいな、こんなことをしてくれたらうれしいな、という期待が混ざってくる。

達臣も、宙を理解したいだけではなく、宙に何かを期待するようになっているのかもしれない。

宙を追いかけていく中で、達臣自身がどんなヒーローを求めているのかも見えてきそう。

仮にその願いが、十二支同盟の中にある歪みや、まだ見えていない問題を変えてほしいというものだったら、かなり面白くなりそう。ただ仲良くなるだけでなく、宙のやろうとしていることに、達臣自身も希望を持つようになる。

もちろん、そこまでは今のところ僕の期待でもある。だからこそ、達臣がこの先、宙の何を認めていくのかを見たい。

二人で変身の練習をしていたんだ

宙と優菜が二人で変身の練習をする回想も良かった。

宙は、優菜を守るために戦い始めた。今の二人だけを見ていると当たり前のように感じていたやり取りにも、最初があって、二人で試していた時間がある。

こういう掘り下げを早いタイミングでやってくれるのが、テンポ良くて面白い。

見ている途中では、最初に変身したときの承認はどうなっていたんだろう、と仕組みの方も気になった。

戦いの中では、優菜の承認とは別に、ダメージで変身が解けたようにも見えた。承認が変身をどこまで制御しているのかと、体が戦いに耐えられるかどうかは、別の話なのだろうか。この一場面だけでルールを決めつけるつもりはないけれど、気になる。

ファイヤーフレーム、それで使えるん?

ファイヤーフレームも不思議だった。

手を握って、ぐっと力を込めて。練習したら使えるようになるものなんだ。そもそも何で宙にそれができるんだろう。

華武利と似た力が使えるのだとしたら、単にやり方をまねれば誰でもできるのか、それとも宙だからできるのか。

今までは、力の根っこの部分で何か共通するものがあるとしたら、優菜と華武利の二人なのかなと思っていた。でも、そこに宙も入ってくるのかもしれない。

優菜を守りたいという気持ちは分かってきたのに、守るために使っている力の方は、まだよく分からない。

リュウズも、何を知っているんだろう

リュウズは、華武利の狙いをある程度理解しているようにも見える。ただ強いと知っているだけではなく、何をしようとしているのかまで分かっていそうな感じがする。

でも、リュウズ自身の掘り下げは、まだあまりされていない気がするんだよな。

マスクを取ったら実はおやっさんでした、みたいな展開も面白そう。これは根拠を揃えた正体当てというより、そうだったら宙との関係まで変わって見えて面白いな、という予想だ。

もし華武利の事情を知る人物が、宙の身近にもいたのだとしたら、今まで何を考えて接していたんだろう。正体が分かることで、過去のやり取りまで気になってくる。

達臣には達臣の関心があり、リュウズにはリュウズの知っていることがありそうで、華武利にもまだ分からない狙いがある。十二支同盟と言っても、一枚岩ではない。ここがやっぱり好きだ。

次回はティグルの特訓回。達臣が宙に近づいてきたところで、ティグルがどう入ってくるのか。

負けそうになると不機嫌になる。

サイコロと、別の経路を描き加えたシナリオノート

先日、友達とTRPGをしていて、ほかの人より自分の進みが遅いと分かったとき、少し不機嫌になった。

自分だけ不利だとか、周りと比べて劣っていると分かった瞬間が嫌なのだと思う。それまでは楽しんでいても、そこで気持ちが変わってしまう。

せっかく遊んでいるのに、自分で楽しさを削っている。

その日も、みんなと遊んだ一日全体ではかなり楽しかった。だから余計に、進みが遅いと分かったときのあの反応は、もう少し変えたい。毎回負けないように準備を固めたいわけでもない。遊びなのだから、不利になったあとも楽しみたい。

ただ、同じようにうまくいかなかった面接では、そのあとにできたことがある。

準備したはずなのに、本番では言葉に詰まり、答えが抽象的になってしまった。うまく話せなかった感覚が残っていた。

その面接の録音を振り返ると、「具体的には?」「そのとき自分は何をした?」と聞かれたところで、答えが弱くなっていた。

案件の説明をしているのに、何人でやったのか、どれくらいの期間だったのか、その中で僕は何を担当したのかが足りない。準備するなら、話す原稿をもう一度覚えるより、最初に短く答える部分と、そこから聞かれたときに出す具体例を用意した方がよさそうだった。

二日後、別の面接でそれを試した。質問へ結論から答え、数字や自分の行動を出すことを意識した。

終わってから振り返ると、前回より案件規模や体制、担当範囲まで話せていた。全部直ったわけではなく、ITスキルの強みや、個人でAIをどう使っているかの説明にはまだ詰まった。それでも、前回と変わったところは確かにあった。

うまく話せなかった面接から、次に何を準備すればいいかが分かった。次の面接では、それを実際に口にできた。

失敗しても情報は得られる、というのは、こういうことなら分かる。

AIを使って何かを試しているときも、この進め方はわりと自然にできている。使ってみて、「ここが面倒」「ここを変えたい」と話して、次を試す。初めから使い方を全部調べて、意味があると確定してから触っているわけではない。

AIと一緒だと、思いついた案を形にしたり、次の動きを決めたりするところまで進めやすい。

夕方の五時前まで家でダラダラしていた日も、AIと壁打ちしているうちに「とりあえず外に出るか」となった。そのままカフェまで歩き、PCを開いたら、ブログの下書きをリライトできた。家で動けなかったことから、自分には場所を変えるのが効きそうだと分かったし、その日のうちに実際の作業も進んだ。

面接では答え方を変え、家で止まった日は場所を変えた。うまくいかなかったあとにも試せることがあって、そこをAIと考えるのは、僕は結構好きなのだと思う。

それなら、TRPGで不利になったときも、まだ見られるものはありそうだ。

どこで楽しめなくなったのか。何があれば、遅れていても楽しめたのか。自分でシナリオを作るときに、同じような場面をどう扱えばいいか。遊んでいる側で感じたことを、そのまま作る側へ持っていける。

そう考えたからといって、次から不機嫌にならないかはまだ分からない。遊んでいたときに、そんなふうに切り替えられたわけでもない。

でも、負けても情報は持ち帰れる。次に同じ気持ちになったら、自分ならどんなシナリオにしたいか、そっちも考えてみたい。

 

『でんぢゃらすじーさん』、コロコロの1番DH大谷説

子どものころに読んでいた漫画を、大人になって読み返す。

そういうときって、だいたい「懐かしい」で終わるものだと思っていた。

『でんぢゃらすじーさん』もそうだと思っていた。

でも30歳になって読んでみたら、普通に今でも面白かった。

懐かしいから笑えるんじゃない。

じーさんが意味不明なことを始める。孫がツッコむ。校長がひどい目に遭う。ウンコが出る。鼻水も出る。

小学生のころと同じところで笑える。

そのうえ大人になったせいで、別の笑いまで増えている。

「これを思いついて、本当に原稿にして、本当にコロコロに載せたんやな」

みたいなところまで面白くなってくる。

昔より笑う場所が増えている。

大長編になると、急に「友達って何なんだ」が飛んでくる

じーさんを久しぶりに読むなら、普通の回だけじゃなく大長編も読んでほしい。

特に好きなのが、大長編第2弾の「放たれた友情だじょー」だ。

この話には、ドクター・ジョウという天才科学者が出てくる。

子どものころ、ジョウにはユウという友達がいた。

ジョウは世界一の科学者になる。

ユウは世界一強い男になる。

どちらが先に夢を叶えるか競争しようと約束する。

でも、ユウは病気で死んでしまう。

そこでジョウは、ユウの夢まで終わらせない。

10年かけて科学者になり、ユウをロボットとして蘇らせる。

……これ、『でんぢゃらすじーさん』の話である。

普段はウンコだの鼻水だので暴れている漫画が、急に「亡くなった友達との約束を10年抱え続けた男」の話を始める。

しかも、蘇らせたら終わりじゃない。

ロボットになったユウは、昔の記憶を失っている。

ジョウがずっとユウのために生きてきたことも、二人が友達だったことも、ユウには残っていない。

この時点でもう結構重い。

なのに、ちゃんとじーさんなのである。

「友達なら助ける」で終わらないのが好きだ

この大長編で今読むと引っかかるのが、友情を単純に「友達は助け合おう」で終わらせないところだった。

ユウは、人は一人では生きられないんだから、誰かを頼って生きればいいという側にいる。

一方でじーさんは、最初から誰かに頼るんじゃなくて、まず自分で全力でやってみる。

それでも無理だったときに「一緒に戦おう」と言ってくれるのが友達なんじゃないか、と返す。

これ、30歳で読むと妙に引っかかる。

小学生のころなら「友情っていいな」で読めたかもしれない。

今読むと、自分で頑張るのと人を頼るのってどこで線を引くんだろう、とか。

助けてもらうことと、依存することって何が違うんだろう、とか。

そんなところまで考えてしまう。

じーさんを読んで何を考えてるんだという感じもする。

でも実際、そういう話なのだから仕方がない。

ウンコの漫画が友情をやるからいい

たぶん僕がじーさんを好きなのは、真面目な話をするために急に真面目な漫画にならないところだ。

友情をやっていても、じーさんの世界はじーさんのまま。

シリアスな話の横に鼻水がいる。

大切なことを言うために、急に立派な漫画にならない。

そこがいい。

「友情とは何か」を真正面から100ページ読まされたら、たぶんちょっとしんどい。

でもじーさんなら読める。

笑いながら読んでいたら、最後にちょっとだけ残る。

読み終わってから、「あれ、これ思ってたよりちゃんとした話やったな」となる。

大長編は、これが一本だけじゃない。

今は大長編18本をまとめた『でんぢゃらすじーさん大長編これくしょん』も出ている。

 

 

普通のじーさんしか知らない人ほど、こっちも一回読んでみてほしい。

そしてコロコロも、じーさんを全然ベンチに下げない

もう一つ面白いのが、これだけ長く続いているのに、コロコロでの扱いが全然「昔の人気漫画」になっていないことだ。

シリーズは25周年を迎えていて、今も新しく『でんぢゃらすじーさん』として続いている。

普通なら「レジェンド枠」として後ろから見守っていても何もおかしくない。

でも、まだ普通に前線に出される。

これを見ていると毎回ちょっと思う。

じーさん、コロコロの1番DH大谷みたいな扱いになってないか。

ベテランだから下位に置くんじゃない。

「こいつまだ打つから最初に置いとけ」みたいな信頼を感じる。

25年やって、今も新作が続いている。

じーさん本人は多分そんな信頼を背負える人格ではない。

でも漫画としてのじーさんは、ずっとそれに応えている。

30歳になっても、別に卒業しなくてよかった

子どものころは、コロコロはいつか卒業するものだと思っていた。

小学生のときに読んで、そのうちジャンプやもっと別の漫画へ行く。

『でんぢゃらすじーさん』も、「昔好きだった漫画」になる。

でも30歳になって読み返したら、そんなに綺麗には卒業できていなかった。

普通に笑える。

大長編では、子どものころより今の方が引っかかる。

亡くなった友達を10年かけて蘇らせる科学者の話を読んで、人を頼ることまで考えている。

その数ページ後には鼻水で笑っている。

この振れ幅が、やっぱり好きだ。

『でんぢゃらすじーさん』は、子どものころ好きだった漫画じゃなかった。今読んでも普通に面白い漫画だった。

AIに「違う違う」言い続けてたら、ブログが書けるようになった

小さなAIロボットと向き合い、原稿を赤ペンで直すウォータン

最近、ブログをかなり書いている。

昔の僕からすると、これがまずちょっとおかしい。

ブログ自体はずっとやりたかった。

でも、いざ書こうとすると真っ白な編集画面でカーソルがチカチカしている。

ここから何を書けばいいんや。

書いたとして、文章が下手だったらどうしよう。

「何言ってるか分からん」と思われたら嫌やな。

せっかく公開しても誰にも読まれなかったら悲しい。

逆に読まれてボロクソ言われるのも嫌。

まだ一文字も書いていないのに、公開後の感想まで先に考えている。

そら進まん。

このへんの話は、前に「社会人3年目からブログで暮らしたかったのに、真っ白な画面で手が止まっていた」でも書いた。

あのときは「なぜ書けなかったのか」と、AIと話すことで真っ白な画面から前へ進めるようになったところまでだった。

最近さらに書き続けていて、その先でもう一個気づいたことがある。

僕は昔からこれをよくやる。

だから最初は、AIってむしろこういう人間とは相性悪いんちゃうかと思っていた。

適当に文章を出してくるAIと、細かいところが気になる僕。

普通にイライラしそう。

でも最近ブログを書き続けていて、少なくとも自分には意外と合っているんじゃないかと思い始めた。

「いや、そういう話してないねんな」が結構大事

以前の僕は、記事を書くときに、何を書くか決めるところから構成、文章、読みやすさ、公開して大丈夫かまで、全部を真っ白な画面の前で一気にやろうとしていました。

無理やろ。

今は、普段の生活で何か引っかかったら、とりあえずChatGPTに話します。

漫画を読んで「なんかこれ、よくある感じなのにめちゃくちゃ楽しいな」と思ったとか、洋楽を流していたら「行ったこともない古着屋にいる気分になるな」と思ったとか、そのくらい。

話しているうちに「あ、僕が引っかかってるのってここか」と見えてきたら、一回文章にしてもらう。

当然、一発で完成なんてしません。むしろ最近は、そこからの方が長いです。

AIはたまに、ものすごく綺麗にまとめてきます。

そして読んで思う。

「いや、そういう話してないねんな」

急に話を一般化したり、最後だけえらく立派な教訓にしたり、僕が全然言っていないところまで広げたりする。

文章だけ見ると別におかしくはない。でも、僕の記事として見ると違う。

そこで「ここは違う」「この言い方はAI臭い」「僕が言いたいのはそこじゃない」と返していく。

細かいところが気になる性格は、別に直っていません。言ってないことを書かれていたら直したいし、変な構成なら戻したい。

でも前と違うのは、何もないところで止まらなくなったことです。一回何かが出てくれば、「ここ気になるな」は言える。

何もないところから説明するより、目の前にあるものへ「違う」と言う方が僕は楽でした。

何回見てんねん、というくらい同じ文章を見る

一つの記事を作る間、同じ内容にはめちゃくちゃ触れます。

最初にChatGPTへ話して、下書きを読んで、違うところを返して、直ったものをまた読む。公開前にももう一回読む。

何回見てんねん。

しかもそのたびに「いや、僕が言いたいのはこっち」と自分の頭から引っ張り出すので、結果的に記事にした話は頭に残りやすくなりました。

覚えるためにやっていたわけではないので、これはちょっと得した感じがします。

じゃあ、どこまでAIにやらせるのか

AIに文章を書かせること自体が嫌な人もいると思う。

その感覚は分かる。

僕自身も、全部AIが勝手に考えた記事を自分の名前で出したいとは思わない。

今のところ、自分の中ではここだけは結構はっきりしている。

「これについて書きたい」は、自分から出したい。

何かを見て笑った。

腹が立った。

驚いた。

なんか変だと思った。

そういうところから始めたい。

そこまでAIに決めてもらったら、僕はたぶんあんまりおもんない。

逆に、その先はかなり助けてもらっている。

整理してもらう。

構成にしてもらう。

文章にしてもらう。

で、違ったら戻す。

このやり方をしていると、「AIにブログを書かされてる」という感じは今のところあまりない。

むしろ昔より「僕は何が言いたいんや」と考えている時間は増えた気がする。

たぶん、僕にはこれが合ってる

前なら、一記事書くこと自体がかなり重かった。

今は日記や普段の会話から「あ、これ記事になるかも」が出てきて、そのまま壁打ちして下書きになって、何度も直して公開まで持っていく。

公開するときに「これ大丈夫かな」と思うことも普通にある。

でも、真っ白な画面の前で全部を一人で完成させようとして止まることはかなり減った。

なので、別にAIに完璧主義を治してもらったわけではないんよな。

ただ、前より進むようになった。

今のところ、それで十分やと思っている。

今年のプリキュア、そこにも行くん?と思っていたら、自分の「好き」が見えてきた

部屋で頬杖をつくうぉーたんと、作品の連想が矢印でつながるカード

最近のプリキュア、なんでこんなにいろんなところに出てくるんやろ。

『名探偵コナン』と絡んだと思ったら、吉本新喜劇にも出た。今度は『相席食堂』にまでキュアアンサーが出てくる。

そこにも行くん?

最初は単純に、今年はこういう宣伝に力を入れているのかなと思っていた。

でも、調べている途中で別のことが気になってきた。

そもそも僕、なんでこれをこんなに面白がってるんやろ。

こういうとき、自分の日記を検索すると結構面白い。

今年8月に『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を見たとき、途中で「戦い方や雰囲気がプリキュアみたい」と書いていた。

いや、プリキュア出てないけど。

勝手につないでるやん。

去年『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』を見たときもそうだった。

二人のキャラクターがわだかまりを乗り越えて共闘すれば「プリキュアっぽい」。機体の口が開けば「エヴァンゲリオンっぽい」。

またやってる。

さらに同じ8月の日記を見ていたら、ミステリー小説『方舟』を読み終わったあと、直前に見た『映画 ちいかわ 人魚の島のひみつ』との共通点まで探していた。

ジャンルは全然違う。

それでも、どちらも終盤でそれまで見ていた物語の意味がひっくり返るところが似ている、と。

そのときの日記には、

「別ジャンルの作品同士なのに似た構造を持っていることに気づけたのが面白かった」

と書いていた。

あれ。

これ今回だけじゃないな。

最近『しのびごと』について書いた記事でも似たことをやっていた。

読んでいて『SAKAMOTO DAYS』っぽいとか、『俺ガイル』っぽいとか、いろんな作品を思い出していた。

その記事には、自分でこう書いている。

「そこで好きだった感じが別の作品に入っているとちょっとうれしい。」

これかもしれない。

僕の中では、プリキュアと『相席食堂』は普通なら別々のところにいる。

片方は日曜朝のアニメ。

片方は千鳥がVTRを見ながらツッコむバラエティ。

普段、一緒に考えることはない。

そこに急にキュアアンサーが出てくる。

そこ、つながるんや。

たぶん僕は、こういう「普通なら別々にあるものが、思いがけないところでつながる感じ」がかなり好きなんだと思う。

ただ、「クロスオーバーが好き」で終わると少し違う気もする。

公式に誰かと誰かが共演していなくても、僕は勝手に作品同士をつなげている。

『まどマギ』を見てプリキュアを思い出す。

ガンダムを見てプリキュアとエヴァを思い出す。

ミステリー小説を読んで、ちいかわの映画を思い出す。

なんでも線引いてない?

ここまで日記から出てくると、さすがに今回だけではなさそうである。

でも、まだ「僕はこういう人間です」とまで綺麗に言い切る気はない。

そもそも僕は、意外な展開そのものも結構好きだ。今回面白いのが「意外だから」なのか、「別々だったものがつながるから」なのか、その両方なのかはまだ分からない。

ただ少なくとも、「今年のプリキュア、バラエティ出すぎじゃない?」から日記を遡ったら、全然関係なさそうな過去の作品感想がどんどん出てきた。

それ自体がかなり面白かった。

だから今年のプリキュアを妙に気にしているのかもしれない。

一回だけなら、「面白いコラボやってるな」で終わる。

でも今年は、コナン、新喜劇、相席食堂と、「そこにも行くん?」が何回も来る。

最初は「なんでこんなにバラエティに出てくるんだろう」と思っていただけだった。

気づいたら、自分が作品を見るときに何を面白がっているのかまで掘っていた。

またこういうことしてる。

今年のプリキュア、そこにも行くん?

たぶん次にまた変なところへ出てきたら、僕は普通に喜んでいると思う。