
最近、やたら世界がブログのネタに見える。
YouTubeを見ても、Xを見ても、人と話していても、街を歩いていても、「これ、記事になるんちゃう?」と思うことが増えた。
少し前まで、そんな感じではなかった。面白い動画を見ても「面白かった」で終わる。何か引っかかっても、その場で流れていく。ネタがなかったというより、たぶん拾えていなかった。
じゃあ最近、何が変わったんだろう。
そんなことを考えるきっかけになった動画があった。
動画で扱われていた「人生が好転する前兆」という見方は、僕にはそのまま受け入れにくかった。
でも一つ、妙に引っかかった。
世界が変わったんじゃなくて、自分が世界から情報を拾う方法が変わったんじゃないか。
最近の自分には、こっちの方がしっくりくる。
動画のどこが面白かった?
以前だって、周りに面白いものはあったはずだ。動画も見ていた。本も読んでいた。人とも話していた。でも、その多くは「へえ、面白かった」で終わっていた。
今はそこに、もう一個だけ問いが増える。「なんで自分、ここが気になったんやろ」これを考え始めると、ただの感想だったものが記事の種になる。
たとえばAIについての動画を見て面白かったとする。以前なら、そこで終わっていた。今なら、「AIそのものが面白かった?」「いや、人間がAIを前にして試行錯誤してるところが面白かったんちゃう?」「自分がAIを使っていて気持ちいい瞬間も、そこに近くない?」と掘っていく。
一個の出来事がそのまま記事になるわけではない。出来事から問いを拾えるようになった。最近変わったのは、たぶんこっちだ。
9月21日から22日の朝にかけて、XやYouTubeで気になったことを次々にChatGPTへ投げていた。
Xで気になる投稿を見つけたら、そのままChatGPTへ投げる。YouTubeで引っかかった話があれば、動画の内容そのものより「自分はどこに反応した?」を話す。ゲームの話でも、作品の話でも、人との会話でも同じだった。
その場で少し話して、必要なら過去の日記や昔の記事まで掘る。すると、最初はただの「これおもろいな」だったものが、別の記事候補へ変わっていく。
前なら「あとでブログに書けそう」で終わっていたところを、今はその場で次の一手まで進めることが増えた。ネタ帳へ保存するというより、引っかかった瞬間に考え始めるようになった。
この変化の出発点については、前の記事でも書いた。
過去の自分まで材料になり始めた
さらに最近は、その問いを今の自分だけで考えなくなった。日記や過去の記事まで掘る。すると、「あれ、前にも同じところで引っかかってるやん」みたいなことが普通に出てくる。
昔好きだった作品。数週間前の日記。何年も前の記事。誰かと話したときの一言。その時は別々の出来事だったものが、今の問いを持って見返すとつながる。
過去が懐かしいだけじゃない。過去の自分が、今の自分を考えるための資料になっている。
この感覚は、以前「過去の自分との共同開発」と書いた話にもつながる。
懐かしい出来事を振り返ると、過去・現在・未来の自分のつながりを感じやすくなる、という研究もある。Hong, Sedikides & Wildschut (2022)
これは僕のブログの書き方を調べた研究ではない。自分の日記を読み返して問いが増える感覚と、どこか重なるところがある、くらいに受け取っている。
さっき考えていた話が、また出てくる
最近、「さっき考えてた話が、また別のところから出てきた」と感じることも増えた。今の関心があるから同じものでも拾いやすくなっている、と考える方が僕にはしっくりくる。
これを自分のブログに置き換えると、かなり分かりやすい。一度、「なんで自分はこれが気になった?」という問いを持つ。すると別の動画を見た時も、人と話した時も、昔の日記を読んだ時も、関連するものが引っかかりやすくなる。
今の僕は、世界を見る時に小さな検索クエリを持って歩いている。しかも、その検索クエリは記事を書き終えるたびに少し増える。
「AIと人間の距離感って何やろ」「自分はなんでこの作品のここだけ異様に好きなんやろ」「この不便、仕組みにしたら消せるんちゃう」そういう問いが頭のどこかに残っている。
だから、前なら通り過ぎていたものが検索結果みたいに引っかかってくる。
前なら「面白かった」で閉じていた動画から、「AIより、それを前にして戸惑う人間を見ていたのか」と考え始める。最近は、見終わったあともそこでしばらく止まっている。